大判例

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東京高等裁判所 昭和52年(う)1872号 判決 1978年1月26日

被告人 坂井與直

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中、刑期に満つるまでの分を、原判決の本刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人高間栄及び被告人各提出の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官提出の答弁書記載のとおりであるので、ここにこれを引用し、これに対し次のように判断する。

一、被告人の控訴趣意中、公訴の違法を主張し、公訴棄却をせず実体判決をした原判決に、訴訟手続の法令違反があると主張する点について。

所論に鑑み、原審記録及び原審取調べの証拠を検討してみても、本件公訴事実についての、逮捕、勾留並びに取調べが所論指摘の憲法の各条項に違反してなされた証跡はなく、公訴の提起も適法適式に行なわれていると認められるから、所論はその前提を欠くもので、採用の限りではなく、論旨は理由がない。

二、被告人の控訴趣意中、原判決挙示の高村清純の各供述調書が任意性を欠き証拠能力がないものであるとの主張に立脚して、これらを被告人の有罪認定の証拠とした原判決に、訴訟手続の法令違反がある旨の主張について。

所論指摘の高村の検察官に対する各供述調書は、原審において刑訴法三二一条一項二号の書面として取調べられたものであるが、原審公判において、高村は、検察官に対する供述調書は、実質的には二回読み聞かされ、誤りのないことを確認し、納得して署名押印した、検察官に対する供述調書は大筋において、全然言わないことを書いたということはない旨供述していること、捜査官に対し自供するに至つた経緯についても、高村は、警察官から黙つていると奥さんも同様に起訴されるおそれがあるから喋れとか、毒劇物自体最高六ヶ月だが、ごく微罪だから早く喋つてすました方がいいんじやないかとか言われたが、暴行等を受けたことがないと供述しているところ、この供述を根拠に、捜査官の嘘とおどかしによつて不任意な供述をしたものと論ずる所論には論理の飛躍があり、これに左祖し難いこと、原審取調べの他の証拠中にも、高村の検察官に対する所論指摘の供述調書の任意性を疑わしめる証跡がないことに鑑みれば、この点の論旨も前提を欠き、採用の限りではなく、論旨は理由がない。

三、被告人の控訴趣意及び弁護人の控訴趣意のうち、本件ピクリン酸及び塩素酸カリウムの所持につき、被告人を共謀共同正犯者と認定した原判決に、事実誤認があるとの主張について。

所論に鑑み、原審記録及び原審取調べの証拠を検討してみると、原判決が、「被告人につき、火薬類及び爆発性のある劇物の不法所持の共謀共同正犯として有罪と認定した理由」の項に、次のように判示している部分は、原判決挙示の証拠を綜合すればこれを認めることができる。

『高村清純は共産主義者同盟赤報派の同調者で、昭和四八年九月ころから臨床検査薬の販売を業とする日栄化学株式会社に勤務し、これらの薬品のルート・サービスを担当していた。

右高村はマルクス等の文献を勉強したいという希望をもつており、数年前からの友人であり共産主義者同盟赤報派の構成員である島崎こと我妻正美に対し誰か教えてくれる人を紹介してくれるよう依頼したところ、昭和四八年一〇月ころ我妻から伊藤こと田中正治を紹介され、月一、二回喫茶店等でマルクスの資本論等の学習会を持つようになつた。

このような学習会の席上、高村は伊藤こと田中正治から「君の会社でピクリン酸を扱つていないか。」とたずねられ、扱つている旨答えたところ入手方を依頼され、昭和四八年一一月ごろ会社にあつた小宗製薬製の二五グラム入りピクリン酸一びんを田中正治に売り渡した。その後高村は田中の依頼により昭和四八年一二月ころから昭和四九年三、四月ころの間にピクリン酸二五〇グラム入りびん六本、五〇〇グラム入り水銀三本を売り渡した。

昭和四九年三、四月ころ田中は身体の調子を崩したためその後を小山こと被告人が引き継ぐことになり、被告人は高村に対し「学習会と薬の関係は私が引き継ぎます。従来通りよろしくお願いします。」と言つていた。

被告人と高村の間においても喫茶店等で月一、二回の学習会が昭和五一年九月ころまで続けられた。この間被告人は昭和四九年四月ころから昭和五〇年六月ころまでの間に高村からピクリン酸二五〇グラム入り合計一七本及び水銀五〇〇グラム入り二本を買い受けた。

昭和五一年四月ころ、被告人と高村との喫茶店での学習会の席上被告人は高村に対し「島崎君が君に話があると言つていたからその内電話がいくかもしれない。」と伝え、その一週間ないし二週間後に島崎こと我妻正美から高村の会社に電話があり「一寸頼みたいことがある」とのことであつたので都立大学前の「パンセ」という喫茶店で会つたところ、我妻は「一寸やばい物を預つてくれ」というので、高村が「何ですか」とたずねたところ、我妻は「白いものと黄色いものだ」と答えた。高村は黄色いものというのはピクリン酸で、白いものというのは塩素酸カリウムであり、そのピクリン酸は自分が被告人らに売り渡したものであろうと考えた。

その約一週間後である昭和五一年五月中旬ころ、我妻は喫茶店「ロビー祐天寺」店内において高村と会い、ピクリン酸合計約五、三七五・三グラム、塩素酸カリウム約一二四グラム、水銀、乾電池等の入つたビニール製手提袋二袋を高村に手渡した。その際我妻は高村に対し「今まで置いてあつた場所が問屋(警察)にマークされてあぶなくなつたので君に預つて欲しいんだ。」「一週間か二週間でよそに移動するからとりあえず今日は預つてくれ。」などと言つていた。

高村は右品物を東京都目黒区祐天寺二丁目二〇番四号山本荘の自室に持ち帰り自室の天袋内に隠して保管していた。

昭和五一年六、七月ころ、被告人と高村が喫茶店で学習会を持つた際、高村が被告人に対し「島崎さんが持つて来た物をよそに移して欲しいんだけれど。」と言つたところ、被告人は「もう少し待つて欲しい。今組織点検でガタガタしているからすぐに移せないんだ。」「君の所は問屋(警察)から絶対にマークされていないし、あれは自然に発火したり爆発したりするものではないから心配しないでくれ。」と言つていた。

昭和五一年九月一一日ころ被告人と高村が会つた際、被告人は「問屋(警察)関係の手が我々に延びているようなので組織の連絡方法を根本的に変えることになつた。これまでの君との学習会は新しい連絡形態ができるまで中止する。」と言い被告人と高村との学習会は中断されることになつた。

一方、高村は自己の両親を東京に招いたうえ、両親と高村夫婦とが一緒に旅行をしようという計画を持つていたが、その計画が具体化し昭和五一年一〇月一四日ころ両親が上京することになつたため、高村はそれまでに預つた物を移動して貰おうと考え、被告人の紹介で毎週一回高村方に泊まりに来ていた玉井に被告人との連絡を依頼した。同年一〇月八日午後七時ころ、高村は都立大学駅付近の喫茶店「パンセ」において被告人と会い被告人に「一〇月一四日に両親が上京して来るので、それまでになんとか預つている物を移動して欲しい。」と頼んだが、被告人は「一四日まででは時間的に言つて無理だ。今月中には動かすからもうちよつと預つてくれと言つていた。

昭和五一年一〇月一三日夜から一四日朝にかけて高村方居室の捜索差押がなされた結果ピクリン酸約五、三七五・三グラム、塩素酸カリウム約一二四グラム、水銀等が発見された。』

そして、これら認定事実を基礎とすれば、

『以上の事実によれば、被告人はかねて被告人自身や田中正治が高村から買い受けたピクリン酸等を他の場所に保管していたが、その保管場所が警察に察知される危険を感じ、我妻正美と共謀のうえ、警察から全くマークされていないと思われる高村清純方に保管して貰うことにし、我妻から高村にピクリン酸、塩素酸カリウム等の入つたビニール製手提袋二袋の保管を依頼し、高村をしてこれを承諾させ、かくて被告人、我妻正美、高村清純は共謀のうえ、昭和五一年一〇月一四日まで右ピクリン酸及び塩素酸カリウムを右高村方居室において所持していたものというべきであつて、本件ピクリン酸合計約五、三七五・三グラム、塩素酸カリウム約一二四グラムにつき、被告人、我妻正美及び高村清純の共謀による所持があつたと認められる。』

との原判決の推論は、正当として首肯しうるから、原判決には、所論の事実誤認のかどはなく、この点の論旨も理由がない。

四、被告人の控訴趣意及び弁護人の控訴趣意のうち、本件ピクリン酸のうち、原判示約二、三〇一・三グラムのピクリン酸が爆発の用途に供せられるピクリン酸であることを被告人が認識していたとの原認定には、事実誤認がある旨の主張について。

所論に鑑み調査してみると、最初は本件ピクリン酸全部につき毒物及び劇物取締法三条の四にいう爆発性のある劇物として公訴が提起され、次いで、うち二、三〇一・三グラムが火薬類取締法二条一項二号ホにいう爆発の用途に供せられるピクリン酸に当るとして訴因及び罰条の迫加変更がなされたものであるところ、原判決は、右ピクリン酸のうち約二、三〇一・三グラムは、それに含有する水分が一パーセント以下であつて電気雷管等を使用すれば容易に爆発することは明らかであるから、この部分のピクリン酸が火薬類取締法二条一項二号ホにいう「爆発の用途に供せられるピクリン酸」に該当するとしている。

ところで、原審取調べの宮野豊作成の鑑定書によれば、乾燥しているピクリン酸一〇グラムを添加すれば水分一三・七パーセントを含有するピクリン酸でも爆発させることができるとあり、また、原審証人宮野豊は、「ピクリン酸そのものは乾きやすいので乾燥させるんでしたら薄く広げてかわいた空気のところにおいておけば、水分がへる、特殊な装置、操作も必要ありません」「爆発力を有する状態にするには部屋の中に広げておけば十分だと思う」、同証人塩田正志は、「最初の水分含有量が二二パーセント前後のものでも自然乾燥させると大体四八時間で九八から九九パーセントの水分が蒸発してしまう」という趣旨の供述をしているのであつて、本件でのピクリン酸は最も水分含有量の多いものでも一三・七パーセントのものであることが塩田正志作成の鑑定書により認められるから、本件でのピクリン酸は、水分が一パーセント以下のものにとどまらず、合計約五、三七五・三グラム全部が、爆発の用途に供する目的で所持されている限り、火薬類取締法二条一項二号ホにいう爆発の用途に供せられるピクリン酸に該当するものである。

当審取調べの証人宮野豊の供述によれば、ピクリン酸は爆薬として使用するほか、染料や医薬品としても使用しうるのであるが、本件ピクリン酸は、補燃剤として用いられる塩素酸カリウム、起爆薬として用いられる雷汞の原料となる水銀及び硝酸第一水銀や、雷管に点火するに用いうる乾電池、ニクロム線などと一緒に原判示高村に我妻によつて預けられたものであることに鑑みれば、本件ピクリン酸全部が爆発の用途に供する目的で所持されたものと推認しうるから、右ピクリン酸全部が火薬類取締法二条一項二号ホにいう爆発の用途に供せられるピクリン酸に該当するものであると認められること、前述したように、被告人は、昭和四九年四月ころから同五〇年六月ころまでの間に高村から、ピクリン酸二五〇グラム入り合計一七本及び雷汞の原料となる水銀五〇〇グラム入り二本を買い受けていたこと、同五一年六、七月ころ被告人が高村に対し、「君の所は問屋(警察)から絶対にマークされていないし、あれは自然に発火したり爆発したりするものではないから心配しないでくれ」と言つたことに鑑みれば本件ピクリン酸全部が爆発の用途に供せられることを、前認定のごとく共同所持した被告人において認識していたものと認められるから、その一部である原判示約二、三〇一・三グラムについて、被告人が爆発の用途に供されるものであるとの認識を有していた旨の原判示には、結局事実誤認のかどはなく、この点の論旨も理由がない。

五、弁護人の控訴趣意のうち、量刑不当をいう点について。

原審記録及び原審取調べの証拠によつて認められる諸般の情状、特に本件ピクリン酸及び塩素酸カリウムが爆弾製造の原料として入手保管されていたこと、本件ピクリン酸を入手保管していた組織の性格と、被告人がその組織の一員としてピクリン酸入手にはたした役割、捜査当局の摘発を逃れるためにした隠匿保管の方法と状況などに鑑みれば、被告人を法定刑の最高限の懲役一年の実刑に処した原判決の量刑は相当であり、重きに失し不当であるとは認められないから、論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、刑法二一条により当審における未決勾留日数中、刑期に満つるまでの分を、原判決の本刑に算入することとし、刑訴法一八一条一項但書により当審における訴訟費用はこれを被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 木梨節夫 時國康夫 佐野精孝)

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